輝くライフスタイルを応援する

No.145 Winter.2022

今、家族と過ごせる時間を
何よりも大切にしたい

タレント

渡辺 満里奈さん

一世を風靡したアイドルグループ、おニャン子クラブでデビュー。超大物タレントとの共演も難なくこなし、「猛獣使い」の異名をとった。ネプチューンの名倉潤さんと結婚し、2児の母に。
うつ病を発症した夫に寄り添い、その闘病生活を支えてきた。50代を迎えてもかれんであり続ける渡辺満里奈さんに、仕事と家族についてのお話を伺った。

取材・文/吉田燿子 撮影/齋藤久夫 ヘアメイク・スタイリスト/三上津香沙


共演した番組での運命の出会い

―――3人兄弟の真ん中で、マイペースな子供だった。中学時代、姉の勧めで『ミスセブンティーン』のオーディションに出場。CBSソニーにスカウトされ、伝説のアイドルグループ、おニャン子クラブに参加することとなる。

CBSソニーのタレント養成でレッスンを受けていたのですが、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)に出演して、1週間オーディションを受けることになったんです。番組中、とんねるずの石橋貴明さんに「お前はうちの事務所に来い!」と言われるくらい、すごく盛り上がったんですね。
それで、おニャン子クラブの正式なメンバーになったんですが、学校の部活の延長みたいで楽しかったですね。高校生って一番多感な頃ですし、もともと楽観的で、なんでも楽しめる性格でしたから。その後、バラエティー番組でサブMCの仕事をするようになってからも、そんなに緊張はしませんでした。
タモリさんやビートたけしさんのような、すごい芸人さんって、普段はとても優しいんです。それに今は、芸人さんに限らず「丁々発止のやり取りをして笑いをとらなきゃ」みたいな雰囲気がありますが、当時はそんな感じではなかったんですね。共演者同士、和気あいあいとした雰囲気の番組が多かったし、自由にやることが許される雰囲気もあった。ある意味「ゆるい」時代でしたから、そこに私がハマったのかもしれません。

―――2005年、テレビ朝日の番組『銭形金太郎』で共演した、ネプチューンの名倉潤さんと結婚。今を時めくアイドルと人気芸人の電撃結婚に、世間は沸き立った。

最初は、夫のことが少し怖かったんです。関西弁で声も大きくて、突っ込みが鋭いというキャラの芸人さんだったので。でも、実際に会ってみると、すごく古風で優しくて、すてきな人だなぁと思いました。お付き合いするときも、「結婚を前提にお付き合いしてください」と言われたんです。プロポーズもきちんと正座でしてくれて。本当に誠実な人で、それが一番大きかったな、と思います。
番組で2年ほど共演し、お付き合いを始めて1年もたたないうちに結婚しました。今は小学生と中学生の2人の子供がいるのですが、母親になって、ものすごく忍耐力がつきましたね。子供は自分の思い通りにならない、自分とは別の人格として向き合わなければいけないんだな、と。自分のこだわりを手放して、他人を受け入れられるようになったかな、と思います。

夫が「うつ」を発症
大勢の人に支えられて

―――仕事と家庭を両立させ、マルチタレントとして活躍していた満里奈さん。思いがけない出来事が起こったのは、結婚13年目を迎えた2018年のことだ。夫・名倉さんが頸けい椎つい椎間板ヘルニアの手術を受け、術後にうつを発症。それが長い闘病生活の始まりだった。

夫が受けた手術自体に問題はなかったのですが、退院後は不眠に悩まされるようになりました。悪夢でも見るのか、夜中にワーッと叫んで起きるようなことが続いて。すごくイライラしていて様子がおかしいので、かかりつけの先生に診ていただくと、「手術による侵襲も原因かもしれない」と言われ、心療内科を受診することを勧められました。本人はああ見えてすごく怖がりなので、手術をきっかけにストレスが一気に噴き出してきた、という感じでしたね。
最初は不安障害などの薬を処方されたのですが、症状が改善されているとは思えなくて。「ちょっと、おかしいぞ」と思うまでに、そう長くはかからなかった。それで別のお医者さんを受診したら、「うつです」と言われたんです。
でも、本人はすごくホッとしたみたいでしたね。「なぜ自分はこうなってしまったのか」がわからず、苦しい思いをしていましたから。「うつ」と診断されて腑に落ちたというか、「これでやっと次に進める」と思ったようです。
お医者さんの勧めで2カ月間休養をとることになり、本人の意向で病名を公表しました。すると、びっくりするほど大勢の方が、励ましの言葉をくださったんです。「自分もそういう症状で苦しんでいる」という人が多くて、病気を理解してもらえず苦しんでいる人が多いことを初めて知りました。休養すると「甘えだ」と言われて落ち込んだり、病名を言えずに無理を重ねたり。「表に出ている人が病名を公表してくれると、病気への理解につながるので、とてもうれしい」と言ってくださる方が多くて。本当に驚きましたね。
グループのメンバーや周囲のスタッフも理解してくれて、「ゆっくり休んで」と言ってくれました。それで本人は、ずいぶんと気持ちが明るくなったようです。この病気では休養も大切ですが、周りの理解もすごく大切なんだな、と感じましたね。
家族がうつになったときに大切なのは、「普段通りに接する」ことと、「焦らせない」ことです。「ちょっと散歩に行ってみる?」と勧めるのはいいけれど、「毎日散歩したほうがいいらしいよ」「頑張って毎日行こうよ」と、本人の気が進まないことを無理やり勧めたり、期限を決めたりしないように気をつける。早くよくなってほしいと焦る気持ちはわかりますが、それをそのまま口に出すのではなく、自分の中で一度かみしめてから、口に出すことが大切だと思います。
夫はもともと、自分の悩みを話すような人ではないのですが、休養期間中はよく話をしましたね。「手術のとき、こういうことが怖かった」「そうだったんだ、怖かったんだね」と。会話を重ねる中で、これまで向き合ってこなかった自分の弱さと向き合い、お互いに理解を深めることができたように思います。理解が深まれば、もっと深くお互いをサポートすることができる。アプローチの仕方が難しいと思うこともありますが、「理解しようとすること」が大切だと、あらためて思いました。

還暦なんて、まだまだ若造。60代でもっと深く吸収したら、80代は面白いだろうな、と。

―――コロナ禍で芸能界は大きな試練のときを迎えた。だが、それは家族との絆を深める好機ともなった。

2人ともインドア派なので、ステイホームは全く問題なかったですね。ただ、子供たちが家にずっといるので、朝昼晩とご飯を作らなきゃいけない。「もう、いい加減にしてくれないかな」と思ったこともあります。そんなときは、洗い物を皆で分担したり、たまには夫がご飯を作ってみたり。家族で乗り切った、という感じです。
今は、楽しくおしゃべりしながら食事している時間が一番楽しいですね。夫はたこ焼きを作るのがとても上手なので、たこ焼きをすると、すごく盛り上がるんです。子供たちも大きくなって、塾や自室で過ごす時間が増えているのですが、夕食だけは皆がそろって食べるようにしています。あと数年もすれば、こういうこともできなくなりますから。今、この時間がとても大切だな、と思えますね。

myレシピ

―――デビュー後35年を経た今も、明るい性格と愛らしさでファンを魅了し続ける満里奈さん。その若さと元気を支える秘訣とは。

もう20年近く、ピラティスを続けています。ピラティスに初めて出合ったとき、これは死ぬまでできる運動だな、と思いました。最初は「インナーマッスルを意識して」と言われても、どんな効果があるのか全くわからなかったのですが、何回かやるうちに、体が変わっていくのを感じました。体に負担をかけないトレーニングなのに、あるべきところに筋肉がついて、脂肪が減っていくんです。
今はコロナでなかなかレッスンに行けませんが、YouTubeやSNSの動画配信を見ながら、家で夫と一緒にやっています。肩こりもなくなりますし、細々とでも続けていきたいと思っています。
明日のこともわからないので、先のことは言えませんが、今はどこかに旅行に行きたいですね。早くコロナ禍が収束して、家族で行ける日が来るといいな、と思います。

Profile

渡辺 満里奈
東京都出身。1986年アイドルグループ・おニャン子クラブのメンバーとしてデビュー。解散後は歌手、女優、タレントとして活躍。
「台湾」や「ピラティス」などをいち早く紹介するなど女性からも注目される。50代からの人生を楽しもう!を合言葉にした連載、週刊文春WOMAN『「大人の女史会」にようこそ。』も好評。

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