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No.142 Spring.2021
「脳内リゾート」でコロナ禍を生き抜く
歴史学者
磯田 道史さん
2003年に『武士の家計簿』を発表し、読書界に旋風を巻き起こした磯田道史さん。
古文書を入り口とし、さまざまなメディアを通じて日本人の営みを問い直す活動は高く評価され、18年に「第10回伊丹十三賞」を受賞した。コロナ禍が世界を席巻する今、私たちは、歴史から何を学ぶことができるのか。警世の書、『感染症の日本史』を発表した気鋭の歴史学者に話を伺った。
取材・文/吉田燿子
「なぜ探し」が大好きな子供だった
――岡山藩の支藩、鴨方藩の重臣だった先祖の古文書が代々家に伝わっていた。
子供の頃から好奇心が強くて、よそ見をしては先生に怒鳴られていました。小学校の体育の授業で、行進中に半田山をじっと見つめていたら、先生に竹竿で頭をたたかれたのを覚えています。実は「豊臣秀吉が中国大返しの際、半田山の下を通った」という伝承に思いをはせていたのですが、先生にしてみれば、ただのよそ見小僧でしかない。自分の好奇心と学校との折り合いをつけるのに、ずいぶん苦労した少年時代だったと思います。
僕は「目に見えないけれども、その奥に隠された真実」を探ることに、異様な興味を覚える子供でした。要は、「なぜ探し」が好きだったわけです。物事の因果関係を明らかにするためには、古い時代に遡って原因を探らなければならない。それで、考古学・歴史学・天文学・地質学という4つの学問に興味を持ったのですが、中でも「一人で探究できて、新発見が多い」のが歴史学、それも江戸時代史でした。大学で近世史を専攻しようと決めたのは、それが理由です。
――日本に歴史人口学を導入した速水融に師事し、統計的手法によって生活史を明らかにする研究を実践。その成果は03年の処女作『武士の家計簿』に結実する。
「磯田」の先祖はお侍ですが、古文書を調べると、貧乏だったらしい。一方、明治時代に嫁いできた曾祖母の実家は、農家なのにお金持ちなんです。つまり、小藩の家老格の武家より村役人の農民の方が裕福なんですね。これは一体どういう社会なのか、と興味を覚えて調べ始めたのですが、実家には当時の家計簿が残っていない。そこで、精密な家計簿を探し求めて出合ったのが「金沢藩士猪山家文書」でした。この文書を分析して書き上げたのが『武士の家計簿』です。
――『武士の家計簿』はベストセラーとなり、同名タイトルで映画化もされた。東日本大震災後は災害史研究にも取り組み、14年『天災から日本史を読みなおす』を出版。コロナが猖獗を極めるさなか、『感染症の日本史』を発表したのは20年9月のことだ。
この本を書くきっかけとなったのは、速水先生が晩年に始めたスペイン風邪の研究でした。その研究成果により、僕はスペイン風邪が流行した当時の状況を知ったのですが、昨年初の段階で、コロナ禍が長引くことを世間が認識しているようには思えませんでした。
福沢諭吉は、世の中が目先のことに夢中になっている時、一人だけ遠くを見て警告を発するのが、学者の役割だと言っています。その務めを果たすため、3月に朝日新聞の取材を受け、『文藝春秋』でも「第二波は襲来する」という文を寄稿しました。これらの文章を1冊にまとめる形で『感染症の日本史』を出版したのです。
江戸時代の感染症対策として注目されるものの一つに、甘酒があります。甘酒は「飲む点滴」と言われますが、江戸時代の人たちは、甘酒を飲んで感染症対策をしていたふしもあります。
最近、長崎大学が、「アミノ酸『5‒ALA』がコロナウイルスを強く抑制する」という試験管レベルでの研究成果を発表しました。この『5‒ALA』は、甘酒にも多く含まれる成分です。江戸時代の人たちは、甘酒の効用を経験的に知っていたのかもしれません。江戸時代の古文書をみると、思わず噴き出してしまうような感染症対策もありますが、現代の我々にも役立つ情報が混じっている可能性も否定できないと思います。
為政者には「無私」が求められる
では、社会的な側面からみると、江戸時代にはどのような感染症対策が行われたのでしょうか。当時の藩政は福祉を目的としていないので、大した患者支援はしないのが普通です。しかし、なかには米沢藩の上杉鷹山のように、無償で患者支援をする藩主もいました。また、江戸時代後半になると、幕府も医療品の配布や貧しい人々への給付金支給を行うようになります。
――名君と謳われた上杉鷹山は、寛政7年(1795年)に天然痘が流行すると、矢継ぎ早に患者支援を実行した。感染症による生活困窮者を洗い出して、手当を支給し、医療を無償で提供。また、医療格差の是正にも心を配り、城下町のみならず遠方の山間部にも支援の手を差し伸べたのである。
「本当に困っている人に支援を届ける」ことが、鷹山の感染症対策の基本でした。当時は、藩に罹患者が出ると、役所への出仕が禁じられ、行政機能がストップすることも多かった。「殿様とその家族に疫病をうつさない」ためです。
しかし、鷹山は「自分に感染させる可能性があるからといって、行政機能をストップさせてはいけない」と考えた。感染リスクを高める恐れがあるにもかかわらず、役所を動かし続けたのです。
パンデミック下では、一番困っている人への手当を優先しなければなりません。為政者が自分の都合を優先しては絶対にいけないわけで、それをやれば、民衆の信用を失ってしまいます。もちろん、江戸時代は身分社会ですから、民衆が殿様に文句を言うことはできない。ただし、政治思想的には、殿様に求められている徳目があるわけです。当時は「百姓成り立ち」といって、「民衆を救済し、持続可能な生活を実現することが、人の上に立つ者の仕事だ」という考えがありました。いわゆるSDGsにも通じる考え方が、江戸時代にはすでにあったわけです。
人の上に立つ者が求められた徳目は、ほかにもありました。えこひいきや私利私欲による行動は慎むべきであるとされ、無私であることが要求されたわけです。
今回のコロナ禍では、政権中枢にいる人たちが、「自分に近い業界・業者をひいきしているのではないか」と批判されています。それを見ていると、江戸民衆の政治思想は今も日本で生き続けている、と感じますね。
――コロナ禍で自粛生活が長引くなか、健康に対する関心も一層高まりつつある。歴史学者として精力的に研究に取り組むかたわら、マスコミでも幅広く活躍する、磯田流パワーチャージの極意とは。
まずはストレスをためないことです。そのためには、「こうでなければならない」と思い込むのはやめた方がいい。真面目で誠実な人ほどストレスがたまりますから、「こうあるべき」と物事を決めつけない方がいいと思います。
それから「忘れる力」を磨くこと、「気分転換の方法」を知っていることも大事です。僕は歴史学者を生業にしていますが、歴史を調べることを「仕事」だと思ったことはありません。虫捕りをするように古文書を探し、遺跡や史跡をブラブラと歩き回っているので、苦にならないのです。
もう一つ挙げるとすれば、「義務の中にも面白さを見つける」ということですね。例えば、今は自粛生活でなかなか外食もできませんが、京都の魚屋を歩き回ってリストを作り、「京都の町・魚屋比較」をしてみる。そんな具合に、本来は義務であることを、趣味や楽しみに変換していくわけです。
これを、赤瀬川原平の言葉を借りて、「脳内リゾート」と僕は呼んでいます。わざわざ東南アジアまで行かずとも、想像力を働かせれば、脳内リゾート生活が楽しめる。それを上等なものにするのが「教養」だと僕は考えています。
ただし、元気で居続けるためには、病気を予防して健康を維持することが大切です。例えば、前立腺がんや乳がんの家族歴がある人は、同じ病気にかかるリスクが高いならば、早めに、がん検診を受けた方がいい。歴史学と同様に、医学でも因果関係を知ることは重要です。自分がどのような病気にかかりやすいかを知り、早めに検診を受ければ、それだけ自分の命を救える可能性も高くなる。ぜひ、積極的に検診を受けていただきたいと思います。
Profile
いそだ・みちふみ
1970年岡山県生まれ。国際日本文化研究センター准教授。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。『武士の家計簿』(新潮新書)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)、『無私の日本人』(文春文庫)など著書多数。
Information
史上最も多くの命を奪ってきた脅威がパンデミックだ。未知の感染症に立ち向かうためには、歴史を見つめ直す必要がある。一級の歴史家が、江戸時代の記録、百年前の政治家や文豪の日記などから、新たな視点で日本人の知恵に光をあてる。
『感染症の日本史』(文春新書)
著者:磯田道史
発売:2020年9月18日
定価:880円(税込)
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