輝くライフスタイルを応援する

No.135 Spring.2019

自分が生かされている間は
全力で生きていきたい

フィギュアスケート選手

浅田 真央さん

グランプリファイナルで4度、世界選手権で3度の優勝を飾り、バンクーバー五輪では銀メダルを獲得。数々の世界記録と記憶を残した浅田真央さんは、2017年に惜しまれながら現役を引退しました。現在は自らのプロデュースで、ファンに感謝の思いを捧げる「浅田真央サンクスツアー」を全国で開催中。新境地を開拓しつつある浅田真央さんに、スケート人生と現在の活動について伺いました。

取材・文/吉田燿子 撮影/齋藤久夫
スタイリスト/藤澤まさみ ヘアメイク/momo


幼い頃は活発で、バスケットボールやドッジボールが好きな少女だった。迷彩柄の服やズボンが好きで、フリルのついたワンピースは大嫌い。愛情深い母に見守られ、2歳年上の姉・舞とともにさまざまな習い事を経験した。

姉が習い事を始めると、「じゃあ、私もやる!」という感じでしたね。5歳でスケートを始めたのも、姉が最初にやりたいと言ったから。姉に早く追いつきたい一心で、練習に励みました。
「フィギュアスケートでオリンピックの金メダルを獲りたい」と思ったのは、長野五輪でタラ・リピンスキー選手の演技を見たのがきっかけです。15歳で金メダルを獲ったリピンスキー選手のように、「私も大人の選手に勝って、皆を驚かせたい」と思ったのです。

試練の時期を支えた
亡き母の言葉

15歳の時グランプリファイナルで、世界女王イリナ・スルツカヤ選手を破り優勝。「浅田真央」の代名詞ともなったトリプルアクセルを武器に、一躍トップスケーターの仲間入りを果たした。以後、グランプリファイナルで4度、世界選手権で3度優勝し、バンクーバー五輪では銀メダルを獲得。だが、それは、栄光であると同時に、長く苦しい試練の序曲でもあった。

バンクーバー五輪後、全てのジャンプを一から見直そうと思いました。ジャンプの修正は1日や2日でできるものではなく、年単位で時間がかかる大変な作業です。それでもジャンプの修正に取り組んだのは、完璧な演技をしたいという思いが強かったから。自分が目指すスケートを追求して、選手生活を悔いなく終わりたいと思ったのです。
ちょうどその頃、プライベートでも大変悲しい出来事がありました。私たちを献身的に支えてくれた母が、病気で亡くなってしまったのです。命がけで支えてくれた母を失ったことは、本当につらかった。母は、学校への送迎や練習の付き添いはもちろん、帰宅後も各国の選手のビデオを見て研究していました。その姿を見ていたので、母のためにもスケートを頑張ろうという思いが強かった。母はいつも「自分の好きなことをやればいい。でも、やると決めたら最後までやりきりなさい」と言っていました。その言葉があったからこそ、諦めずにここまでやってこられたような気がします。

いずれは森に入り自給自足で暮らすのが夢です

たくさんの人たちに
元気を届けていきたい

試練を乗り越え、優勝を目指して臨んだソチ五輪だったが、ショートプログラムでは失敗が続き、16位に沈んだ。だが、翌日のフリーではトリプルアクセルを成功させ、女子史上初となる全6種類・合計8回の3回転ジャンプを全て着氷。その演技に世界は固唾を飲み、深い感動の渦が巻き起こった。

前日のショートプログラムでは満足のいく演技が全くできず、精神的にはボロボロの状態でした。でも、翌日のフリー本番前の6分間練習でリンクに入った時、「もう逃げられない。やるしかないんだ」と思えたんです。今まで自分は、これ以上はできないというほど練習を重ねてきた。後は成功しようと失敗しようと、自分を信じてやるしかない――そう思いきれたことが、あの演技につながったのかなと思います。
演じ終わった瞬間は、安心感と悔しさ、うれしさ、いろいろな思いが入り混じって複雑な気持ちでした。それでも、母の言葉と皆さんの応援が力になって、最後まで滑りきることができた。海外の試合では特に、客席からの声援が私にパワーを与えてくれます。たくさんの方から応援をいただいたからこそ、つらくて大変な時期を乗り越えることができた。応援してくださった方のためにも、スケート人生の最後をよい形で締めくくりたいと思っています。

2018年からスタートした全国をまわるアイスショー「浅田真央サンクスツアー」。

2018年からスタートした全国をまわるアイスショー「浅田真央サンクスツアー」。

2017年に競技生活を終え、翌18年から「浅田真央サンクスツアー」をスタート。これは、真央さんが今まで演じてきたプログラムを、無良崇人たかひと選手や若手スケーターと一緒にメドレー形式で繋いでいくアイスショー。今年も全国21都市での開催が予定されている。

サンクスツアーは、選手生活を支えてくださった全国の皆さんに、感謝の滑りを届けたいという思いから生まれたものです。通常のアイスショーでは1人のスケーターが2曲ほど滑りますが、サンクスツアーでは私が10曲を滑り、他の皆も交互に私の過去のプログラムを滑り繋いでいくという構成です。
同じフィギュアスケートでも、アイスショーは競技とは全然違います。決められたルールの中で、自分の限界にギリギリまで挑戦するのが競技だとすれば、ルールに縛られず、自分のやりたいことを自由に表現できるのがアイスショー。選手時代は自分との戦いや挑戦の連続でしたが、今は「フィギュアスケートができて幸せだなぁ」と思えるようになりました。
サンクスツアーでは行く先々でスケート教室を開催しています。全国の子供たちに元気を届けられたらうれしいですし、自分にできる範囲で、たくさんの人に喜んでいただけるような活動をしていきたいと思っています。

元気をつくる!myレシピ

現役引退後に出版された『浅田真央 私のスケート人生』(新書館)の中に、こんな一節がある。「人生は修行の場。(中略)自由に生きることが難しいなかでも、自分の人生をちゃんと生ききることが大事」なのだ、と――。

母を亡くしてから、人生は本当に〝修行の場〟だと思うようになりました。この世での修行をやり遂げた人たちが、亡くなって天国に行くのだとしたら、自分が生かされている間は「できることは全力でやろう」と思うようになりました。視野を広げ、いろんなことを学びながら、できるかぎり吸収していきたい――そんな思いから、2017年にホノルルマラソンを完走し、今年1月には新宿シティハーフマラソンの3㎞部門にも出場しました。
他にも、パラリンピックのアスリートを応援する番組(NHK-BS1『真央が行く!』)への出演や、映画『メリー・ポピンズ リターンズ』のプロモーションビデオ用に楽曲を編集し、振付をして滑ったりと、いろいろな仕事に挑戦しています。新しいことに挑戦するのが好きなので、今はとても楽しいですね!
最近は、一人旅も楽しんでいます。自然が豊かな場所にある、温泉宿に行くのが好きですね。自分でレンタカーを運転し、宿に行ってのんびりしながら、おいしいごはんを食べたり温泉に入ったり。畑で採れたての野菜で作った料理を出し、薪でお風呂を焚くような宿に行った時は、本当に素敵だなぁと思いました。おばあちゃんになったら、自給自足の生活をするのが究極の夢。持ちものを全て処分し、森の中で自給自足しながら生涯を終える――それが私の最終的な夢なんです。
そう思うようになったのは、体によい生活を追求した結果、「何でも自分で作って食べる」ことが、究極の幸せであり贅沢でもあると思ったから。だからパートナーには、そういう暮らしを一緒に楽しめる人がいい(笑)。誰にでも優しくて、知らないことを教えてくれて、私を笑わせてくれる男性に巡り会えるといいな、と思っています。

Profile

あさだ・まお
フィギュアスケート選手(女子シングル)。1990年愛知県生まれ。中京大学体育学部卒業。2010年バンクーバーオリンピック銀メダリストとなり、女子シングル史上初めて1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功。さらに14年世界選手権ではショートプログラム世界最高点を出し、いずれもギネスに認定される。ソチオリンピック6位。世界選手権優勝3回。四大陸選手権優勝3回、GPファイナル優勝4回。全日本選手権優勝6回。

●「浅田真央サンクスツアー」2019年開催予定
青森県: 2019年5月11~12日/テクノルアイスパーク八戸
東京都: 2019年5月25~26日/江戸川スポーツランド
沖縄県: 2019年6月7~9日/スポーツワールドサザンヒル
ほか、全国をまわるツアーの詳細はサイトをご覧ください
http://maotour.jp