輝くライフスタイルを応援する
No.132 Summer.2018
「今を生きる」ことで
人生は絶対に拓ける
V・ファーレン長崎代表取締役社長
髙田 明さん
ジャパネットたかたを創業し、テレビ・ラジオ通販番組のMCとして活躍した髙田明さん。
昨春、深刻な経営危機に陥ったJリーグ、V・ファーレン長崎の社長に就任し、
V・ファーレン長崎をクラブ史上初のJ1昇格に導きました。
今年70歳を迎える今も、若さとバイタリティを失わない髙田さん。
その半生を支えてきた信念と、尽きることのない活力の秘密について伺いました。
取材・文/吉田燿子 撮影/齋藤久夫 ヘアメイク/小池 瑠美子
テレビ・ラジオ通販番組の名物MCとして全国にその名を轟かせた、ジャパネットたかた創業者の髙田明さん。
昨年4月、経営危機に直面したV・ファーレン長崎の社長に就任し、経営再建に着手。
就任後7カ月でチームをJ1昇格に導き、「長崎の奇跡」といわれる快進撃の立役者となった。
僕がV・ファーレン長崎(以下、V・ファーレン)の社長に就任したのは、クラブが累積赤字3億円を超え、倒産寸前まで追い込まれたのがきっかけです。
ジャパネットはV・ファーレンの株主兼メインスポンサー。コアなサポーターを持ち、県民の期待を背負ったこのチームをなくすわけにはいかない。そこで、現ジャパネットホールディングスの代表であり長男の髙田旭人と相談し、ホールディングスの完全子会社とし、再建を目指すことになりました。
サッカー事業は、けっして収益を生む仕事ではありません。V・ファーレンの経営再建のため、昨年だけで10億円を投資しています。それでも、スポーツ振興を通じて子供たちを元気にしたい、県民の力でクラブを活性化し、地方創生につなげることができれば――そんな思いから、V・ファーレンの経営再建を引き受けたのです。
ところが、社長就任後に経営の実態を精査したところ、選手への給料も払えないような、ひどい状況であることがわかりました。
サッカー事業は一般に、スポンサー収入が50%、入場料収入が20%といわれています。まずはスポンサー収入を増やそうと、トップセールスを展開して、従来の3~4倍のスポンサー収入を確保。一方で、入場料収入を増やすためには、魅力ある選手を育ててチームを強化し、勝てるチームにしていく必要がありました。
「このチームに自分たちの未来を託せるのだろうか――」と、選手や監督が不安を募らせていたら、試合に集中することなどできるはずがない。それで、「経営は私がしっかりやるから、安心してサッカーに集中してほしい」と伝えました。すると、選手も監督も気持ちが切り替わって、どんどん勝ち星が増えてきた。入場者数も1年間で4000人から平均1万人程度まで増え、入場料収入も大きく増やすことができました。
最終的にJ1昇格が決まったのは、昨年11月。社長を引き継いでから7カ月後のことです。よく「たった7カ月間で、なぜチームを再建できたのか」と聞かれるのですが、要は気持ちの切り替えなんですね。サポーターや県民全ての応援がチームの力となり、本来持っていた力が十分に引き出されたことが、「長崎の奇跡」を起こしたのだと思います。
サポーター同士の交流で
地域を活性化したい
J1昇格以降、他チームのサポーターが、たくさん長崎に足を運んでくださるようになりました。例えば浦和レッズの試合には約5000人、FC東京やガンバ大阪の試合には約2000人のサポーターがやって来ます。JR諫早駅からトランスコスモススタジアムまでは徒歩で30分ほどかかるんですが、商店街の人が無料奉仕でお茶を出し、接待してくれる。他チームのサポーターは、「長崎の人は優しくて、本当にいいところですねぇ」と誉めてくれます。
そうやって、サッカーチームの本拠地がある地域同士が交流すれば、日本の活性化にもつながりますよね。サポーター同士の交流を通じて、長崎が元気になり、Jリーグ全54クラブを通じて、日本中に夢や元気を与えることができたらいいな、と。そんな、ささやかな希望を持っているんです。
髙田さんが実父経営のカメラ店の佐世保支店を任されたのは、30歳の時。
38歳で独立し、テレビショッピングに進出したのは46歳の時のことだ。
番組MCを務める髙田さんの平戸方言訛りの語り口は、「ジャパネットたかた」の社名とともに、いつしか世間に広く知られるようになる。
よく「人生の転機」について聞かれるのですが、特に転機といえるようなものはないんです。
25歳でカメラの仕事を始め、40歳まではホテルで宴会の写真を撮っていました。ソニーのハンディカムが出た時、「これは絶対に売れる」と思いましたが、1台20万円近い商品ですから、店で待っていても売れるわけがない。そこで、お客さんの家を回って訪問販売することにしたんです。すると、テレビの入力端子につなぎ、お孫さんの顔を映した瞬間、ビデオカメラが売れてしまう。販売数は月100台を数え、ソニーの特約店の月別売上ランキングでは、九州で一番の成績でした。
僕の場合、長期的ビジョンがあって経営していたわけではないんですね。目の前の課題に夢中で向き合っているうちに、いろいろなアイデアが生まれてきた。そうして、気がついたら年商2000億円近い会社になっていたんです。
「一戦一生」の思いで
日々を生きる
昨年1月、初の自著『伝えることから始めよう』を出版。
その中で、髙田さんは、「今を生きる」ことの大切さを繰り返し語っている。
僕は、「今を生きる」という言葉ほど、全ての問題を解決するものはないと思っています。「一日一生」という言葉がありますね。一生は一日の積み重ねだから、その一日を大切に生きていくんです。サッカーも「一戦一生」という気持ちで取り組めば、それが結果につながる。そういう気持ちで生きることが大事だと思うんです。
人間、「将来こうなりたい」と思っても、今を変えない限り明日は変わらない。過去の失敗に悩んでくよくよするより、今この瞬間を大切にして、人生、もっと楽天的にシンプルに考えたほうがいい。
僕は今年で70歳になりますが、今までに「失敗」をしたことは無いと思っています。うまくいかないことはたくさんあるけれど、それは「失敗」ではなく「試練」であり「自己更新」だと思っています。その思いを強めたのは、「ブレイクスルー思考」という考え方に出合ったのがきっかけです。例えば企業がどんなに努力して業績を上げても、米大統領の一言で株価が暴落することもある。自分の力ではどうにもならないことを悔やんでも仕方がありません。降りかかったつらい経験も全て「自然」と受けとめ、成長の機会と考えれば、乗り越えていくことができるのです。「今を生きる」人は、常に目の前の課題に真剣に取り組んでいるので、変化に対応する力や、変化を創り出す力が磨かれます。今やるべきことに200%、300%の力で取り組んでいれば、人生は絶対に拓けるようになっているのです。
2015年、ジャパネットの社長職を辞任。
長男・旭人さんに跡を譲り、経営の一線から退いた。
V・ファーレンの経営も、長くやるつもりはないんです。僕のミッションはあくまで企業再生。これからのV・ファーレンは若い人が創っていくべきですから、できるだけ早く後進に任せたい。
70代はゴルフに旅行、留学なんかもしてみたいですね。アメリカとフランスに1年ずつホームステイして言葉を覚え、現地でテレビショッピングをやるのも面白いかなって。そんなことも、わりと本気で考えています。人生、何が実現するかわかりませんからね。もうすぐ9人になる孫の将来も見たいから、あと48年、117歳まで生きてみようかと思っています。
11月に古稀を迎える髙田さん。
今も背筋をピンと伸ばし、青年実業家のように軽やかな佇まいだ。
その若さと健康の秘訣とは。
人間、歩くことが一番大事だと思います。運動をして、睡眠をしっかりとり、食事は2食で済ませる。それが僕の健康法ですね。
それから、くよくよしないことも大切です。どうにもならない未来や過去を思い悩むより、今を生きるほうが、シンプルに生きられる。ケ・セラ・セラと、ポジティブな気持ちで生きていれば、不可能と思うことも可能になります。
一緒に、ぜひ長生きしましょう!
Profile
たかた あきら
1948年長崎県生まれ。大阪経済大学卒業後、阪村機械製作所に入社し海外駐在を経験。74年父が経営する「カメラのたかた」に入社。86年に分離独立して株式会社たかたを設立。90年ラジオショッピング、94年テレビショッピングに参入。99年株式会社ジャパネットたかたに社名変更。2015年同社社長を退任。17年サッカーJ2(当時)V・ファーレン長崎代表取締役社長に就任。