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No.119 Summer.2015

等身大の自分でいいそう思えてから楽になった

歌手、女優

相田 翔子さん

可憐な容姿と穏やかな語り口、
そして周囲を和ませるどこかユニークな人柄ー。
独特の魅力で輝き続ける歌手の相田翔子さん。
「人見知りで引っ込み思案」。芸能界には向いていないと悩みながらも、人気デュオからソロ活動へと歩んでこられました。
「今、とても幸せ」と語る相田さんに、これまでの軌跡とその時々の心境をお聞きしました。


両親は演歌、姉はポップスと、歌好きの家庭で育ち、姉妹でピンク・レディーに扮するのが大好きだった幼少時代。中学に入ると、杏里や角松敏生といったニューミュージックを好み、歌手の世界に憧れた。しかし、最大の弱点は人見知りだったこと。人前で歌ったり、話したりすることが何より苦手。「大勢の観客の前で歌うなんてとても無理だと思っていた」と振り返る。

私が中学生の頃は、アイドル歌手の全盛期。周りには、歌手を目指してオーディションを受ける友人もたくさんいましたが、芸能界なんてあがり症の私には無縁だと思っていました。ところが、友人がオーディションに応募する時に、いつの間にか私の分のはがきも出していたんです。オーディション当日までドキドキして、本番では緊張で体はカチカチ、蚊の鳴くような声でしか歌えませんでした。

やっぱり私には無理なんだ……、そう思って諦めて帰ろうとした時、意外にもオーディションを企画した会社の方が声をかけてくれ、歌手ではなくモデルとして事務所に所属することになりました。学校帰りに歌や演技、作詞作曲のレッスンを続けていたある日、なんと歌手デビューが決まりました。高校2年生の時です。トントン拍子で曲が決まり、レコーディングも終えました。さあ、これからだという時になって急に怖くなってしまって。どうしても無理だとお断りして歌手デビューは白紙に。自ら大きなチャンスを投げ出してしまいました。

ですが、幸いにも再びチャンスが訪れました。高校卒業後に受けたオーディションで(鈴木)早智子と出会ったんです。その場で、「2人で歌ってみて」と言われ歌ってみると、声のバランスがよかったことからWink結成が決まりました。

前に出るのが苦手な2人 泣きながら稽古に励む日々

1988年に2人組の歌手「Wink」としてデビュー。『愛が止まらない』でブレイク後は、連続でオリコン1位を獲得するなど、一躍スターダムに駆け上がった。『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』など、音楽番組が華々しかった時代、Winkは笑わないアイドルといわれ、無表情に歌う2人の姿も話題になった。

デビュー当初はレコードが全く売れなかったんですよ。新曲のキャンペーンで地方を巡っても、人がまばらで、楽屋で2人してよく泣きました。2曲目を出してもやっぱり売れない。次でさすがに最後だと覚悟していました。でも、3曲目の『愛が止まらない』がじわじわと売れ始め、あっという間にオリコン1位に。その後も、出す曲出す曲が1位になって、びっくりするやら戸惑うやら……というのが本音です。

華やかな世界に身をおくようにはなったけれど、当時は歌も振り付けも覚えるのに必死でした。ようやくテレビで歌えるようになったと思ったら、次の曲の練習が始まります。新曲の練習中は、私ができなくて泣いて部屋を出ていって戻ってきたら、今度は早智子が泣いて出ていく。2人とも自分が歯がゆく、励まし合いながらの日々でした。

当時「笑わないのは戦略か」と聞かれましたが、奇をてらって新しいアイドルを作ろうという考えはなく、事務所が目指したのは正統派のアイドルでした。でも、私も早智子も大の人見知り。緊張しやすく、前に出るのが苦手な2人にとっては、あのパフォーマンスが精一杯だったのです。「笑え」と社長からは何度も檄を飛ばされました。鏡の前でアイドルスマイルを練習してもカメラの前では、またカチカチになってしまう……。その繰り返しでした。

でもWinkには「恋が実らなくて、つらい、切ない」という心情の曲が多かった。それなのにニコニコ笑うのは変だろうとも感じていたんです。今にして思えば、洋楽っぽいアーティスティックな楽曲をアイドル歌手が歌うという違和感が新鮮に受け止められたのかもしれませんね。

戸惑いも多い毎日の中で、私たちが最も楽しみにしていたのはコンサートでした。お客様がキラキラとした笑顔で喜んでくださる様子を見るのが、何よりうれしかったんです。みんな、人には言わなくてもいろんな悩みを抱えながらコンサートを楽しみにしてくださる。だから、いつもこれが最初で最後かもしれないという真剣な気持ちで全ての力をぶつけようと思っていました。

“恥をかけ”という恩人の言葉が励みに

人気絶頂のまま走り続けた2人だが、徐々に人気にかげりが見え始める。オリコン初登場1位が初登場2位に、その次の曲では3位にという具合に……。事務所の社長の「華のあるうちに」という言葉で、8年目にして活動休止を決心する。

その後2年間は、家で楽曲作りに没頭。しかし、あるきっかけでテレビでの活動を再開する。おっとりとした雰囲気からは想像できないほど多彩な趣味の世界をトーク番組で披露し、相田さんは新たな魅力を開花させていく。「引っ込み思案」と語るが、その柔和な表情の奥に一旦決心したら簡単には諦めない意志の強さも秘めているようだ。

Winkを休止してからは、表舞台には出ず、念願だった作詞作曲に集中しました。自分ではとても充実していたのですが、2年ほど経ったある日、マンションの管理人さんが私を見て「最近テレビに出ないんですね。ずいぶん落ちぶれましたね」と。この一言はすごくショックだったし、正直腹も立ちました。でも、その言葉は、きっとそのまま世間のイメージなんだなと気づいたんです。芸能人である以上、テレビに出るのは大事なんだと痛感して、思い切って、「テレビに出たい」と事務所に直談判しました。

ただ、せっかくトーク番組に出演する機会をいただいても、やっぱり最初は緊張してうまく話ができなかった。でも、しどろもどろになりながら話をしているとそれを「面白い!」と言ってくださる方がいたんです。それからは、話が上手で素敵な人はたくさんいるけれど、私もそうである必要はない、不器用な等身大の自分でもいいんだと思ったらずいぶん楽になりました。私の姿を見て、少しでも自信をもてる人がいるとしたらうれしいとも思えるようになったんです。

30歳になった頃、もう一つの転機がありました。誰にでも、「このままではいけない。もう一皮むけたい」と思う時が訪れると思うのですが、私にもやってきました。それが舞台の出演です。何度か舞台のお話をいただいていて、それまでは頑なに逃げてきたのですが、この時は挑戦してみようと決心しました。やっぱり演出家からは「お人形さんじゃないぞ」とさんざん叱られて落ち込みましたが(笑)。でも、厳しい言葉で私を導いてくれた恩人の一人です。「もっと恥をかけ」というその方の言葉は、今も大事にしています。稽古中はたくさん恥もかいたけれど、本番が始まったらすごく楽しかった。あえて自分を追い込み挑戦してみたら、新しい発見や可能性につながることもある。勇気を出して飛び込むことも大切だと思うようになれたのは、大きかったですね。



2008年に結婚、2012年に女児を出産。一児の母になってからは子育てを優先しながら、ゆったりとしたペースで音楽活動をはじめ、舞台、ラジオなどで活躍。また、仕事を離れたら、料理に陶芸、スキー、プラモデル制作など、多彩な趣味も相田さんの日常に彩りを与えている。

娘が生まれてからは、早寝早起きになりました。朝日を浴びると、本当に気持ちがいいし、体調も良いんですよ。健康の秘訣は睡眠と、それから食事。例えば春の季節なら菜の花ときのこを入れた「森のパスタ」など、旬のものを中心にした料理を作ります。陶芸にもはまっていて、料理に合わせた器を作るのも私にとって大切な時間。1週間に3日は我が家の食卓に上がる出し巻玉子用に作った半月型のお皿と煮物を盛る中皿が自信作です。主人に「うまくできたでしょ」と言っても「そうだね」の一言だけで、完全に自己満足ですけど(笑)。

今は、仕事もとてもいいペースで取り組めています。ソロになって苦い思いも味わったから、時間に追われていたWink時代には気づかなかった、仕事をいただけることへの感謝の気持ちが持てるようになりました。一つひとつの仕事との出合いを大事にし、ベストを尽くしながら、少しでも実力がつくように努力したい。そう思えることが、とても幸せなんです。

Profile

あいだ しょうこ
1970年生まれ、東京都出身。1988年女性デュオ「Wink」としてデビュー。翌年には日本レコード大賞を受賞。1996年の活動停止以降は、映画・ドラマ・CM・舞台で女優として活動。また、人気バラエティ番組のレギュラーや司会を務めるなど、幅広く活躍している。2013年9月に16年半振りのオリジナル・ソロアルバム『This Is My Love』を発表。
公式サイト:http://www.aida-shoko.com/
公式ブログ:http://ameblo.jp/aida-shoko/

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