輝くライフスタイルを応援する
No.134 Winter.2019
自分の心が変われば
世界が変わる
それが、僕の伝えたいこと
書道家
武田 双雲さん
ストリート書道からスタートし、映画や大河ドラマの題字を担当。武田双雲さんは、その独自の書の世界と発信力により、人々を魅了し続けてきました。43歳を迎え、今、大きな波動の変化を経験しつつあるという双雲さん。
その壮大な世界観と、これからの活動についてお話を伺いました。
取材・文/吉田燿子 撮影/齋藤久夫
ヘアメイク/小池 瑠美子
サラリーマンの父と書道家の母を持ち、3歳で母から書を習い始めた。両親の愛情に包まれ、元気で活発な子供として育った。
いつも上機嫌で、明るさが途切れることのない子供でした。消しゴム、石ころ—何を見てもハッピーになれるので、毎日がパラダイスでした。
でも、無邪気でいられたのは小学校まで。中学・高校に入ると、背が高いので、運動部ではいつも「期待の新人」でしたが、失望に変わるのも早かった。バッターボックスに立っても、雲や鳥に見とれて、試合に集中できない。「何をやってるんだ」と、いつも監督に怒られていました。こんな調子だから友達には理解されず、先生にも呆れられました。僕の目にはいつも色々なモノが映っている。その全ては分子の塊であって、等価なんですね。何を見ても感動するし、なぜヒマワリは良くて雑草はダメなのか—。人間が決める価値の序列がわからないんです。
そんな僕も、書を書いている時だけは、ノイズが消えてスーッと瞑想状態に入ることができた。筆や硯が、頬ずりするほど愛おしくて、書道をしていると、勝手に心が整ってしまうような、そんな感覚でした。
宇宙の法則を体感した
ストリートでの経験
大学卒業後、NTT東日本に入社。上司から「ちゃんとしろ」と言われて努力はしたものの、どうしてもうまくいかない。実家の襖や障子に書かれた母の書を見て、鳥肌が立つような感動を覚えたのは、そんな折のことである。
さっそく和紙と硯を買い、墨をすって、仕事のメモを書き始めました。すると、噂を聞きつけて、他部署から女性の先輩が集まってきたんです。「素敵ね」と褒められてうれしくなり、墨で名前を書いてあげました。すると、ある女性が突然泣き出して言うんです、「自分の名前を初めて好きになれた。名前を付けてくれた親とは折り合いが悪かったけれど、なんだか仲良くなれそうな気がする」って。
その言葉にあまりにも感動して、その場で辞表を書きました。その後、あるストリート・ミュージシャンとの出会いがきっかけで、路上で書を書くようになったんです。
夜8時から藤沢駅の前で書のパフォーマンスを始めたのですが、最初のうちは、誰も足を止めてくれませんでした。でも、僕がお客さんに興味を持つと、向こうも興味を持ってくれるんです。ああ、そうか、自分の心の具合によって相手の行動は決まるんだ、と思いました。世界は自分が作り出したホログラムだということが、電撃的に理解できたんです。大好きな宇宙の法則やアインシュタインの方程式と、自分のスピリチュアルな感覚がイコールになった。その瞬間、感動のあまり鼻血が出そうになりました。
自分がどんなメガネをかけて世の中を見るかによって、現実そのものが変わる。メガネと現実が共鳴していくのを感じて、心底感動しました。それなら、皆が「感動メガネ」をかければ、ハッピーな人が増えて、戦争もなくなる。世界中の人に「感動メガネ」をかけたい、という思いが、僕の活動の原点になっています。
今は自分にとって
生まれ変わりの時
それからの活躍は目覚ましい。書道家として活躍の場を広げ、独自の創作活動を展開。そのユニークな世界観にメディアも注目し、約50冊の本を出版するに至った。
だが、多忙を極める生活は、知らず知らずのうちに健康をむしばんでいた。2012年に胆嚢炎で入院。退院後も、体調がすぐれない日々が1年半ほど続いた。
それまでの自分は、「大人にならなきゃ」と、どこかで背伸びしていたような気がします。父親になり、「先生」と呼ばれるようになったのだから、「ちゃんとしなきゃ」と思いつつ、苦しさを感じている自分がいた。仕事は面白かったけれど、人が求めるものに応え続けてきた分、どこかで無理がたたったのでしょう。
病気から回復すると、畳みかけるように様々な出来事が起こり始めました。実は2年前、自分がADHD(注意欠陥/多動性障害)だということがわかったんです。その分野の専門家と対談して、すごく楽になりました。「そうか、俺が人と違うのは、俺のせいじゃなかったんだ」と。
一気に波動が変わったのは昨年のことです。不思議なのですが、出雲大社に書を奉納した時、突然、頭が上がらなくなってしまい、次にパーッとエネルギーが入ってきたみたいに、突然「書道教室をやめる」という言葉が口を突いて出たんです。それと前後して、毎年訪れているカリフォルニアの町で、あるアトリエと運命的に出会い、将来的には、その町に移住する計画が進行中です。
それから、僕の中にアートへの強い思いもわいてきた。僕は子供の頃、ピカソみたいな変な絵ばかり描いて、先生によく怒られていたんです。だから、自分の中で封印していた「アートで表現したい」という気持ちまで、解放されたのかもしれない。今、「楽」という字をデフォルメした作品が、何百点と生まれています。突然スイッチが入って止まらなくなり、子供の頃に描いていた絵の世界に原点回帰しちゃったんです。
書道って、けっこう禁欲的なんです。例えば「た」という平仮名はどこまでなら崩しても「た」と読めるのか—。表現したい形も制約の中に閉じ込めていたんだと思う。「もう、無邪気な僕でいいや」と思ったら、アートとして表現したい気持ちが強くなって、すごく楽にもなったんです。今は、完全に書の世界を超えて、字をクリエイトしていくことがすごく楽しい。
今、僕が伝えたいことは、「人生、マインドセットが全て」だということです。自分の目に映る世界は、自分の心の映し絵です。イライラしていると、自分を苛立たせる人が現れるし、自分が上機嫌でいれば、いい人とたくさん出会うことができる。どちらの現実を引き寄せるかは自分で選べるということを、僕は皆さんに伝えたい。
心を整えてから森羅万象に接すれば、まるで宝物の中で生きているような、そんな感覚が得られる。雨だからと悲しい気持ちになるのではなく、「雨だぁ!ありがとう」と言えば、素敵な1日に変わるんです。古女房も心から愛おしめば、新妻に変わってしまう。それって、ものすごくお得なことじゃないですか(笑)。
大切なことは、人間が言う価値の序列に惑わされないこと。「あれはいい、これはダメ」と決めつけたりしないことです。僕は比較をしないし、会う人全員に感動しちゃうから、「偉い人、偉くない人」という感覚がわからないんですね。
心を整えると、心身ともに健康になります。「元気」や「病気」には「気」という字が入っていますよね。「気」というのはエネルギーのことで、健康というのは「エネルギーが調和しているか、乱れているかどうか」の違い。だからこそ、いつもエネルギーを高く保ち、上機嫌でいることがすごく大切です。そのためには、とにかく所作を大事にすることです。自分が上機嫌な時の表情や姿勢、所作を量産すれば、日常がパラダイスになる。そして何より大切なのは、自分の周りの全てのものに、感謝の気持ちを持つことです。
僕の自宅の襖には、「感性、感動、感謝」という文字が書いてあります。感じて気づいて、心から感動し、ありがたいなぁと思う。僕が日々やっていることは、その繰り返しです。ホモサピエンスは、「祭り」という形で神様に感謝を捧げたからこそ、地球上で文明を創り上げることができた。世界各地の人々が、日頃の感謝を自分なりの方法で表現する日。感謝のつながりは、より良い未来へのつながりとなる—そう思い、6月9日を「世界感謝デー」にするプロジェクトを立ち上げました。
世界中で感謝の波動にチューニングすれば、いつの日か世界は絶対に変わる。そのことを伝えるために、これからも活動していきたいと思います。
Profile
たけだ・そううん
書道家。1975年熊本県生まれ。東京理科大学理工学部卒業。3歳より書家である母・武田双葉に師事。大学卒業後、NTT東日本入社。約3年間の勤務を経て書道家として独立。アーティストとのコラボレーションや斬新な個展など、独自の創作活動で注目を集める。映画『春の雪』『北の零年』、NHKドラマ『天地人』など、数多くの題字やロゴを手掛ける。2013年文化庁より文化交流使の指名を受け、海外に向けて日本文化の発信を続けている。著書多数。
「武田双雲の水で書けるお習字 ひらがな」「武田双雲の水で書けるお習字 漢字」 (幻冬舎刊)
武田双雲さんのお手本に、用紙と筆がセットになっています。