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No.123 Spring.2016

「好き」に正直でいることで 新しい道がひらけてくる

女優

とよた 真帆さん

親しみやすいキャラクターと、凛としたたたずまいで、ますます輝きを増すとよた真帆さん。
ストイックな仕事への向き合い方とは対照的に、好奇心おう盛な性分を生かして、気になったことはとことん探求するのがストレスフリーの秘訣だとか。
デビュー当時から現在まで、とよたさんのみずみずしい美しさと感性を支える気持ちの持ちように迫りました。

取材・文/宇治有美子 撮影/尾嶝太


17歳でモデルとしてデビュー。スラリとした長身と凛とした美しさで、瞬く間に売れっ子に。数々の仕事を獲得し、パリコレクションへ出演するなど、まさに順風満帆なキャリアをスタートさせる。しかし、10代後半での渡仏中は、華やかな舞台を経験できた半面、世界で闘う厳しさを目の当たりにする日々だった。

私がモデルデビューした頃は、日本はバブルの絶頂期。あり余る仕事があり、どこか仕事に対して甘い部分があったと思います。

そんな時、来日していたアニエス・ベーさんから「パリに来てショーに出ないか」と誘われたんです。その翌年には渡仏し、パリの事務所に所属したのですが、そこにはヨーロッパはもちろん、ニューヨークやメキシコなど世界中のモデルが集まり、オリエンタルの私がぽつんと一人いる状況。東洋のモデルということが一つの個性になるとはいっても、世界のトップモデルと競い合うには相当なキャラクターが必要です。173センチとショーモデルとしてはそれほど身長が高いわけではなく、突出した個性があるわけでもない。この先パリに残ったとしても私には太刀打ちできない世界だと、自分自身の将来を冷静に判断し、帰国を決めました。

でも、「何事も経験したことはプラスになる」と考えるのが私の信条。簡単に仕事を得ることができない環境にしばらく身をおいたこの期間があったから、プロの厳しさが改めて学べました。このことは、その後の人生にとって、とても大きかったですね。帰国後は、仕事に対する取り組み方が変わりました。

モデルから女優へ 自分で決めて築いた道

ただ、モデルの仕事には常に新鮮さが求められます。そんな中で年を重ねても活躍を続けられるのは一握りしかいない。自分のやりたいことを見つめなおし、この時もモデルの仕事は22歳まで、ときっぱりと自分で線を引きました。子供の頃憧れていたお芝居の世界に踏み入れる決心をしたのです。



22歳で女優に転身。今でこそ、モデルから女優への転向はよくあることだが、当時のとよたさんは珍しい存在だった。モデル仲間やカメラマンなどフレンドリーな仲間に囲まれた環境は一変。ドラマの撮影現場は「体育会系のノリで、朝から怒号が飛び交うことも多い」世界。「モデル出身者に何ができる」という容赦ない視線が浴びせられたこともあった。

当時のドラマの現場には新人に演技を教えてくれる優しい雰囲気はありませんでした。正直、3年ほどは辛かったですね。たとえ私の演技について「下手だな」と心の中では思っていても、あえて言ってくれる人なんて、なかなかいない。それなら、自分でベテランの方の作品を観て学ぶしかないと、少なくとも年間200本の映画を観ようと自分に課しました。ビデオを借りてきては、あらゆる役者の演技に集中し、その人の芝居のどこに感動したのかと自問自答する。特に感動したシーンでは一秒でも見逃すまいと、画面に釘付けでしたね。

その頃、いただいた仕事には、常に新人という精神で一作、一作、試されているのだという気持ちで臨みました。それは、必ず見ていてくれる人がいると信じていたから。実際、その後の私の転機もそうして起こったんですよ。

真剣にがんばる姿は必ず誰かが見ていてくれる

30代で人生の転機が訪れる。後に公私にわたってパートナーとなる映画監督の青山真治さんとの出会いである。そのきっかけは青山さんが偶然にドラマでとよたさんの演技を観ていたこと。青山さんからオファーを受けた、映画『月の砂漠』(2001年)への出演は、とよたさんにとって女優としても一人の女性としても大きな転換期となった。

長塚京三さんと、父と娘を演じたある深夜のテレビドラマで、私自身、非常に追い込まれたシーンがあったんです。リビングで最初はふつうに会話をしていた父娘が言い合いになり、最後は泣いて和解するという20分の長いシーンを1カットで撮影するというもの。20分もの会話の応酬の後、最後に涙を流すという高度な技術を要する演技は、何度もできるものじゃない。だからこそ全身全霊で撮影に臨みました。

その時の芝居を当時助監督だった青山がたまたまテレビで観ていて「この女優といつか仕事がしてみたい」と思ってくれたそうです。それが、カンヌ国際映画祭にも出品された『月の砂漠』への出演につながったのですから、つくづく人の頑張りって誰かが見てくれているものですよね。

青山と初めて一緒に仕事をした映画『月の砂漠』の撮影はとても印象的で特別なものに感じました。集まってくる役者やスタッフがみんな職人気質。緊張感をもって芝居をしていて誰一人ゆるんでいない。常に現場には神聖な空気が流れているんです。もともと青山の作品が好きで信頼していましたから、撮影中もどんな風に仕上がるんだろうと想像し、ワクワクできる幸せな時間でした。

映画監督と女優。表現者同士の結婚生活はぶつかり合うことも多いのではと聞かれることもあります。でも、初めて一緒に仕事をした時に彼の心の孤独さに触れて、サポート役になりたいと思った。家庭を温かい場所にすることが作品に影響し、彼の作品を豊かにすると思ったからです。その気持ちがずっと変わらないから、今も衝突することはないんです。それよりも、青山と結婚したことで、女優として彼に恥ずかしい思いをさせられない、とこれまで以上に仕事に真面目に向き合うようになりました。それに、青山が結婚後に女性心理をより深く描けるようになったと評価していただいている声を聞くとうれしいですね。

待っているよりも自分で幸運をつかみたい

2人でテレビの音楽番組を観ていた時、なにげなく口ずさんだ私の歌声は、青山にとって、結婚10年目にして大きな発見だったようです。ある構想でジャズシンガーの浅川マキさんのような声を必要としていたようなのですが、ちょうど私の声がぴったりで。この出来事がきっかけで2013年に初めて彼が演出する舞台で歌ったのですが、それ以来歌うことに夢中。最近では、週に2、3度カラオケに行ったり、ボイストレーニングに励んでいるんですよ。


絵画や写真は個展を開くほどの腕前で、京友禅の絵師としても活躍する多才ぶり。日常生活に目を移せば、10年間続けている加圧トレーニングやウォーキングに加え、「心からかわいいと感情を開放できる」という5匹の愛猫たち、手芸、石集め、歌……好きなことを存分にするのが、ストレスを溜めずに健康を維持する秘訣だと語る。

私は、とにかく好きなことに熱量が強いみたい。先日も、ドラマでご一緒した岡田浩暉さんに、歌うことが楽しいと熱弁していたら、その後岡田さんのライブでゲストとして1曲歌わせてもらうことに。岡田さんは私の歌を聞いたことがなかったのに「あの情熱で何か1曲歌ってください」って(笑)。

お膳立てをしてもらうのをただ待っているだけではラッキーはやってこない。自分が興味のあることを人に伝えていくことで、ご縁ってつながっていくものだと思うんです。

それと、健康のためにはやはり食べることも大切。大好きな酢を使って作り置きしている酢タマネギや酢大豆は、毎日の食卓に欠かせません。蜂蜜を入れるなど、自分の好みにアレンジすれば、酢がそんなに得意じゃないという人も食べやすくなるんじゃないでしょうか。将来は野菜作りもやってみたい。自分で作った野菜を使った料理研究家になる、という夢ももっているんですよ。

50代を目前に迎えて思うのは、気の多い私がしてきたことが将来一つずつ花開けばいいなと。だから年を重ねても、自分の〝好き〟という気持ちに正直でいたい。私の周りを見回してみると、30代の友人が圧倒的に多いんです。彼らとのエネルギーがちょうどよく合うみたいで(笑)。先輩風をふかせるのではなく、学ぶべきことは学び、若い感性から刺激を受ける。これも私がいつまでも、明るく、元気に生きる上で、大切にしていることかもしれません。

Profile

とよた まほ
学習院女子高等科在学中にモデルデビューし、1986年にアニエスb.のモデルとしてパリコレクションなどに出演。その後女優に転向し、1989年「愛しあってるかい!」(フジテレビ)でデビュー。以降、多数のドラマや映画、舞台に出演。また芸術への造詣が深く、写真や絵画の個展を開いたり、京友禅の絵師として着物のデザインを手掛ける。最新刊『とよた真帆の作りおき酢タマネギ&酢大豆おいしいレシピ』(主婦の友社刊)が好評を博するなど多方面で活躍。

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